大判例

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千葉地方裁判所 昭和48年(ワ)342号 判決 1976年5月10日

原告

中山功次

中山君子

右両名訴訟代理人

高橋勲

外二名

被告

千葉県

右代表者知事

川上紀一

右訴訟代理人

小川徳次郎

外二名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

(当事者の地位)

請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

(事故の発生)

昭和四八年三月一一日午後三時二〇分頃、訴外中山茂(昭和四二年一〇月二三日生、当時満五才)が、被告が設置管理する公の営造物である松戸市栗山一九八番地所在の千葉県水道局栗山浄水場(以下本件浄水場という。)構内に立入り、同構内の変電設備所(原告らは変電所というが、正確にはこのように呼ぶべきものと考えられるが、以下においてはこれを変電所と呼ぶことがある。)の周囲に張りめぐらした高さ1.9メートルの金網柵を乗り越えて同所内に入り、同所に設置されている碍子型遮断器(原告らは変圧器というが、同一物を指し、正確にはこのように呼ぶべきものである。)に登つて感電し、このため翌一二日死亡した事実は、当事者間に争いがない。

(本件浄水場及び変電設備所の状況)

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

一本件浄水場は、松戸市の南西、市川市寄りの江戸川沿いの台地上にあつて、その敷地坪四六、〇〇〇平方メートル、その南側西側は主として畑、山林で、東側北側は住宅地となつている。周囲には高さ1.8メートルの金網柵をめぐらし、本件事故当時はその南側に正門、東側に門、東西に各通用門を有し、正門は外部からの所用者のため、又東通用門はその近くにある職員公舎からの職員の出入りのために設けられ、正門は常時開扉され、東通用門は職員の出入の都度開扉され通常は施錠されて閉ざされている。又東西の両門は閉鎖されている。又正門には「関係者以外立入禁止」の看板及び正門を入つてすぐの左右の芝生には立入禁止の旨の立看板が三枚立てられている。

二構内には、浄水設備として沈澱池、濾過池、配水池、配水塔、変電設備所、ポンプ室、管理棟等がある。これらを除いては広く空地がとられ芝生の植込みもなされている。

三本件変電設備所は、右構内の東通用門に近く、後記北門から約八〇メートル離れた地点にあつて、約2.45メートルの約四〇度の勾配を有する高台の上に位置し、周囲は地上よりの高さ1.9メートルの防護金網柵をめぐらし、その四囲に「立入厳禁」「危険・高電圧」の看板がとりつけられている。訴外茂が昇つた碍子型遮断器は、右金網柵の内にあり、右柵から約6.5メートル離れた約2.1メートルの高さのところに設置され、二万ボルトの電流が流れている。

四本件事故当時、本件浄水場構内に建設する県水道局松戸配水工事事務所の建物の資材を搬出入するトラツクの進入口とするため、北側の金網柵が幅約16.3メートルにわたつて取外されてあつた(以下右進入口を北門と呼ぶことがある。)。

(訴外茂の侵入個所)

<証拠>によれば、本件事故当日の午前中北門から数名の子供が浄水場構内に立入ろうとして工事人夫に注意されたこと、本件事故の二日前訴外茂ほか三、四名の子供が構内で遊んでいるのを場長が注意したところ、茂一人がこれを反抗して場長に石を投げつけたこと、本件事故当時北門に茂の靴跡があつたこと、事故直後構内から三人の子供が泣きながら北門から外へ出て行つたこと、原告らの住家は北門から道路を歩いて北方へ約五八メートル行つたところにあること(検証の結果)が認められ、右認定をうごかすに足る証拠はないから、茂は北門から作業員や職員の目をぬすんで浄水場構内に立入つたものと推認することができる。

(考察)

本件浄水場構内には前記のとおり、浄水、配水のための池が幾つかあり、変電設備所もあつて、これらの諸設備の近くに立入ることは危険であるから、部外者は所用のないかぎり構内に立入らせないようにしなければならない。特に、危険物又は外力よにる危険を認識し、これを防止又は回避しようとする能力をもたない児童、幼児に対しては尚更である。

本件浄水場にはこれが防護施設として、浄水場周囲に南門を除き高さ1.8メートルの金網柵が張りめぐらされているから、外部からの侵入者に対する防護柵としては、構内における職員等の監視がなされているかぎり、一応この程度の設備で十分であると思われる。そして問題を変電設備所に限定していえば、同設備所は右構内に奥まつた2.45メートルの高台の上に位置し周囲に1.9メートルの金網柵を張りめぐらしているのであるから、浄水場周囲の金網柵と相まつて二重の金網防護柵によつてとりかこまれていることになる。

通常の児童、幼児であるならば、浄水場周囲の金網を乗り越えてその構内に立入り、更に進んで変電設備所周囲の金網をも乗り越えて同所内に入り、更に又2.10メートルの高さのところに設置された碍子型遮断器によじのぼるがごときことはしないであろう。

従つて、右のごとき場合のあることを予想してかかる危険を防止するため、特に変電設備所の防護柵の上部に忍びがえし等を設備する必要はない。

しかし、本件においては、浄水場北側が幅16.3メートルにわたつて金網柵が取外されていたから、この個所で子供の出入りを自由に許すならば、変電設備所は一重だけの防護柵となるから、あるいは右柵に忍びがえしの設備をとりつける必要が生じてくるかもしれない。しかし、その逆に、右北門において周囲の金網防護柵と同程度の効果がある監視態勢がとられていて、子供の自由な出入りが禁止されているのであれば、前記の結論と同様忍びがえしの必要はないこととなる。

そこで、北門の監視態勢が問題となる。

なお、一般的には、北門に限らず、浄水場構内への立入り防止措置が問題になりうるが、茂が構内に侵入した場所が北側工事作業用の門(北門)であるから、右場所が茂の侵入を容易に許す状況の防護施設を五才の児童の通常の行動との関連で検討することとする。

(北門の監視態勢)

<証拠>を総合すると次の事実が認定される。

浄水場北側に設けられた工事用トラツク等の出入口(北門)は昭和四八年二月中旬頃から設けられたもので、右工事が終了した同年三月末頃門としての体裁を整えたが、工事期間中は特に門としての設備もなく、単に金網柵が16.3メートルの長さにわたつて取外されていた状態のままで、その両端をつないで網が二本張られていたが、子供がこれを越えられる程度のものであつたため、この部分から付近の子供が浄水場構内に時々入つて遊ぶことがあつた。

浄水場としては、これらの子供を見つけ次第、構内巡視の職員又は工事作業員が厳しく注意をして構外に追出していた。(右子供らの中に訴外茂がいて、注意を与えた場長に抵抗して石を投げつけたことは前に記したとおりである。)本件事故二日位前、構内に入ろうとした子供数人が工事責任者から怒鳴られ、又その近くにいた子供達の母親にも子供を立入らせぬよう注意された。なお又、浄水場としては、付近の住民や小学校にも連絡して子供の構内立入禁止を要請したし、北門付近を見とおせる構内の管理室から常時監視し、構内に入つた子供に対しスピーカーで構外へ出るように放送していた。

<証拠>によれば、浄水場側の前記のような注意にも拘らず、付近の住民のほとんどはその子に対して構内へ立入らぬよう注意を与えていなかつたことが認められる。

ところで、中山茂が他の三名の子供と共に、浄水場構内に入つたのは午後三時二〇分頃であるから、工事作業中のことであり、茂らは職員らの監視の目をくぐつて構内へ入つたものと認められる。

このように、浄水場の職員らから厳重に立入りを禁止されているにも拘らず、構内への子供らの立入りが絶えず、その親達も子供に対し注意も与えなかつたのはいかなる事由によるものか。一考を要する点である。

<証拠>によると、昭和四六年以前から構内で時々遊んでいる子供らがあり、これらの子供は南正門から入つたり、東門の金網柵を乗り越えて入つたもので、職員に見つかつた場合は構外へ出されていたが、それほど厳しいものではなかつた。又昭和四五年八月中には小学校から頼まれて付近の小学生のラジオ体操場に構内の一部が使用されたことがあり、野球の練習にも一回構内が使用されたこともあつた。昭和四六年、場長が変つてからは、職員に構内への子供の立入りを厳しく禁止するよう指示され、構内の巡視も朝昼各一回宛行わせ、又、構内各所に設置されている機器の点検を職員が毎日実施する際には、見巡りをも兼ねて構内への子供の出入りを監視防止してきたため、昭和四七年頃から構内で遊ぶ子供は殆んどいなくなつたが、それでも南正門は開放され、守衛もいないことであつたから、ここから入る子供もあり、必ずしも完全に禁止の効果があがつたというわけにはいかなかつたことが認められ、<証拠>によれば、構内で遊ぶ子供らは、浄水場付近に住む者達であつて、付近には公園等の遊び場所もないため、構内に入ろうとするものであることが認められる。

右事実によれば、数年以前から構内に子供が入つて遊べたこと、これまでに水死、感電死等の事故がなかつたこと(事故があつたとの証拠はない。)、付近に住む子供らにとつて近くに遊べる公園がなく浄水場構内が格恰の遊び場であつたことから、浄水場側の厳しい態度にも拘らず、構内への立入りが絶えず、又親もその子に対して格別の注意を与えなかつたものと考えられる。

以上の諸事実を総合考慮すれば、現実には茂らの侵入を許したとはいえ、北門の監視態勢が不備不充分であつたとは言い難く、構内立入りを監視、防止する態勢としては一応浄水場でとつた措置で足りるものと考えられ、この点に関し、被告に公の営造物の設置、管理に瑕疵があつたとはいえない。

(変電所の防護設備)

本件変電所の構内における位置、その防護設備については前に認定した。その設備自体から、子供らの遊ぶべき場所でないことは明らかである。そして通常の子供であれば、1.9メートルの金網柵をよじのぼつて変電設備のある内部に入り、更に碍子型遮断器にのぼることはしないであろうと思われることは前に記したとおりである。<証拠>によれば、茂は幼稚園に通う満五才の児童であることが認められるが、翌年には小学校に入学する年令であるから年令相応に多少の分別はあつたものと思われ、しかも前に認定したように、浄水場構内に立入つては職員らに見つかつて厳しく注意、叱責されて構外に追出されていたのであるから、子供心にも構内に入ることは禁止されていることがわかつていた筈である。それにも拘らず、茂は禁止を冒し監視の目をくぐつて構内に入つたうえ約八〇メートルも奥に離れた2.45メートルの高台に上つたうえ、更に高さ1.9メートルの防護用金網柵をよじのぼつて変電設備所内に入り、約6.5メートル離れて高さ2.10メートルのところにある碍子型遮断器によじのぼつた。まさに異常な行動であるといわねばならない。なるほど、幼児のことであるから、通常人の予測できない行動をとることがままないわけではない。しかし、通常発生の予想されない事故に備えて、変電所に特別な防護設備例えば金網柵の上部に忍びがえしをつける等をなし、且つ管理をなす必要があるとは考えられない。

<証拠>によれば、右防護用金網の設置、遮断器の設置位置等は、監督官庁である東京通商産業局長の「自家用電気工作物使用基準」に則つて、その認可を得て設置使用されているものであることが認められる。なるほど、原告ら主張のように金網柵の上部に忍びがえしをとりつければ、本件事故は防止し得たであろうことは推察に難くない。そして、かかる忍びがえしは、<証拠>によれば、他の変電所等にとりつけられてあり、又、<証拠>によれば、被告管理下にある工業用水佐倉浄水場、印旛沼取水場にもとりつけられていることがわかる。しかし、<証拠>によれば、右甲号証に挙げられた施設は、いずれも変電設備がそれ自体で独立していて、直接道路に面しているか、又は民家に近接しているか、あるいは農地内に存在するものであつて、容易に人がその設備に近ずくことができ、又は侵入可能な場所にあり、且つ常時監視態勢のとり得ない場所にあるため、危険予防の措置として忍びがえしの設備を設けているものであることが認められるのである。しかるに、本件変電設備所は、周囲に金網柵をめぐらし且つ構内立入りを規制している浄水場構内に設置されているものであつて、これと前記変電所設備とを同列に論ずることはできない。又、<証拠>によれば、佐倉浄水場の忍びがえしは、本件事故発生後の昭和四八年六月八日に設置されたものであることが認められ、本件栗山浄水場のみが忍びがえしをつけていなかつたものではないことがわかる。

なお、本件事故後、変電設備所の金網の周囲には、幼児にもわかるように絵を入れた立入禁止の看板がかけられ、金網の上部に有刺鉄線がとりつけられたが、<証拠>によれば、これらは原告らの強い要求により設置されたもので、この設置により被告が従前の設備、管理の不備を認めたものではないことが認められる。

(結論)

以上の説示を要約すれば、次のとおりとなる。

公の営造物である被告県の設置管理に係る浄水場内へ立入り又は立入ろうとして職員、作業員から厳しい注意、叱責を受けた満五才の児童である訴外中山茂が、監視の目をぬすんで構内に侵入し、侵入場所から約八〇メートル離れた奥にある変電設備所の約2.45メートルの高さの土手を上り、更に右設備所の周囲に張りめぐらした高さ約1.9メートルの防護金網柵を乗り越えて同所内に入り、更に右金網柵から約6.5メートル離れて設置された高さ約2.10メートルの碍子型遮断器によじのぼつて感電死した事故に対し、被告県が予め右変電設備所の金網柵の上部に、かかる児童の行動を予見して、侵入できないような設備例えば忍びがえしなどを設置しておかなかつたからといつて、公の営造物の設置管理に瑕疵があり、このため右事故を招来したということはできない。

よつて、原告らその余の主張を判断するまでもなく、本訴請求はこの点で理由がないから、失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(渡辺桂二)

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